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サクラ‏

2012/11/04


サクラがお骨になって帰って来た。彼が一番りりしく写っている写真、これはプロに撮ってもらったものだが、それと一緒にお祭りをした。
昨日もサクラの夢を見た。どこかの会社でサクラを連れて取材を受けた。終わった後、僕はサクラを抱いたまま乗る気もないのにタクシーを停め、「渋谷駅か新宿駅かどちらかにいきたいのですが、どっちに行けばいいですか」と運転手に聞いた。気の良い運転手が
道を教えてくれた。僕は、ちょっとぐにゃぐにゃのサクラの感触を確かめながら、とぼとぼと歩いた。

サクラは息子が台東区か江東区かで拾って来た。公園に箱に入れられていたのだ。生まれてすぐなのかまだ目が開いているような、いないような。僕はすぐに猫用のミルクと哺乳瓶をドンキホーテで買って来てミルクをやった。よほどお腹がすいていたのか、ごくごくと飲んだ。それからは我が家の一員になった。
サクラ、サクラと毎日何度呼びかけたことか。元気で食欲旺盛だが、人見知りで、なかなか他人には懐かなかった。孤高のところがあった。
僕が、銀行に退職届を出す時(自宅のファックスで早期退職の申し込みを出した)、側にいてじっと見守ってくれた。

朝は3時に僕を起こした。僕はサクラに食事を与え、それからコーヒーを飲み、原稿を書きだした。サクラは、じっと僕を見守りながら眠っていた。少しでも僕が机から離れようとすると、どこに行くのかと目を開けた。僕は、動けなくて、そのまま原稿を書き続けざるを得なかった。厳しい監督だった。

妻には非常に従順で、妻がいる時は大人しく眠っていた。妻が出かけると、むくむくと起き出して、「おい、ちょっと小腹がすいたぞ」と近づいて、机の上に乗ったり、書類をいじったりした。それもついこの間まで。
それで僕は仕方なく、鰹節を少し与えると、また眠った。

家を建て直すために桜上水のアパートに1年程住んだ。ちょっとなれなくて苦労かけたね。新しい家はサクラのために作ったようなもので家の中を自由に走り回った。建築家が特別に作ってくれた、本棚のサクラのための階段を軽快に上って、高いところから家の中を見渡していた。この家がサクラは好きだった。
庭もゆっくりと散歩した。たった一周だけだが、サクラのための庭だった。

帰ってくると必ず玄関まで迎えにきていた。サクラただいま。そういうとニャーと擦りよって来た。
宅配便のお兄さんが来たら必ず警戒心を顕わにして、玄関に座り込んだ。他人にはなれなかったが、不思議と孫の悠人には何もしなかった。悠人がサクラを追いかけたら、大人の対応でゆっくりと彼を避けた。昨日、悠人から電話で「サクラいなくなったの?」と言って来た。「天国に行ったよ」と教えた。

ペットは家族同然というが、家族とは全く別の、変な言い方かもしれないが心に沁み込んでいるものだ。
ある精神科医が、「人が苦しんでいる時は受容が大事です」と教えてくれたが、サクラは受容そのものだ。
何かアドバイスしてくれるわけでもない。だけど僕の苦しい時、悲しい時、いつもそばにいてごろごろとしていてくれる。
僕はサクラに話しかける。サクラは何も言わないでじっと僕を見ていてくれる。それで十分だ。僕はふたたび元気になる。
人間なら余計なアドバイスをするから、悩みを打ち明けたらやぶへびになることがある。サクラは優秀な精神科医だった。

天国で楽しく遊んでいるだろうか。人見知りするから、早く友達をつくればいいが、自分は人間だと思ってたかも知れないし、猫の天国では寂しいことはないかな。それが心配だ。

友人のジャーナリストの江川紹子さんもチビとタレという愛猫を今年亡くしてしまった。彼女の落ち込みは見ていられなかった。この間、二人で愛猫の話をしながら飲んだ。その時、サクラが良くなるといいねと言ってくれたが、残念な結果になった。以下のユーチューブは、江川さんのファンが、チビとタレのために作ってくれたものだ。見ていて泣けて、泣けて。